北大路山人はこんな言葉を残している。
「うまいものの極致は米なのである。うまいからこそ毎日食べていられるわけなのである。」
この断言の気持ちよさは格別だ。
私はこの言葉が好きで、大学の授業でもよく引用している。
魯山人もまた、炊きたての米を粒で味わう悦びに魅せられていたに違いない。
「毎日食べていられる」という一節には、粒そのものの味わいへの確がにじみ出ている。
粒を噛みしめるときの香り、舌ざわり、ほぐれ方一それらが一体となって「米の味」を形づくる。
「銀シャリ」という言葉がある。
M-1優勝の芸人コンビの名にもなっているが、本来はつやつやの白ご飯を指す語で、語源は仏教用語の「舎利」、すなわち釈迦の遺骨である。
舎利殿に祀られる舎利がかつての日本人にとって尊いものであったように、米もまたありがたい存在だった。
白く光る粒は、単なる主食以上の価値を日本人にもたらす。
では、もし日本の米が粉で流通するものであっならどうなっていただろうか。
日本の米はジャポニカ米で粒食に適しているものの粉にして食べる文化も存在している。
上新粉で作られた団子、さらにその原型である築(注)などである。米菓もそうだ。
もしそれらが日常の主流になっていたら、社会の姿は大きく異なっていたはずだ。
粉にするには加工の手間がかかるし、保存性も低く、品質もバラバラで価値の把握が難しくなる。
徴税の仕組みが変われば社会も変わる。
米が長く税(年責)として徴収されてきた理由の一つが価値の明瞭性だ。
ジャポニカ米は粉摺りし玄米にすれば、あとは精米して炊くだけで食べられる。
その価値は、直接的で、交換経済においては誰もが納得する。
小麦のように製粉や加工を経なければ食べられない作物とは根本的に異なる。
また粒であることは計量を容易にし、徴税コストを下げ、運搬や保管の効率も高める。
湿度の高いアジアモンスーン地域では粉は劣化しやすいが、粒は耐える。粒の均質性は、価値の安定性にもつながった。
こうした条件がそろっていたからこそ、古代の班田収授法以来、米は粒のまま年となり、価値の基準となった。
法制度が崩れても農民は米を作り続け、そこから生まれた武士もまた米と切り離せなかった。
俸禄も石高も兵糧も、すべて粒の米である。
もし粉が基準であったなら、税制も武士のあり方もまったく違うものになっていただろう。
日本社会のさまざまな制度や価値そのものが、粒という形態に支えられていたのだと思う。
現代では米の粉食利用がさかんになってきているが、このように考えてみると、極東の一隅で今も頑なに粒食を守り続ける日本という国が、世界の食文化のなかでやや孤立しながらも、香山人のように「うまいものの極致」として粒食を讃え、毎日食べても飽きないという事実は、なんとも愉快である。



